小野小町というと、名前だけは聞いたことがある、という人が大半だと思います。
なんせ、彼女は未だに謎の多い人物です。
その出自も、没年も、何もかもが曖昧にしか残されていません。
はっきりと分かっているのは、歌人としての姿と「絶世の美女」だったという逸話だけ。
それなのに今世まで語り継がれているのは、何か理由があるはずですよね。
では、そんな彼女は一体何をして、他にどんなエピソードがあるのでしょうか?
簡単にまとめてみました!
目次
小野小町のプロフィール
小野小町(おののこまち)生没年不詳。
平安時代中期、9世紀頃の女流歌人。
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人でもあります。
小野小町は何をした人?
六歌仙の一人
小野小町は、歌人としてとても高く評価されています。
その歌は『古今和歌集』にも載っており、在原業平や大伴黒主と一緒に六歌仙(古今和歌集の代表的な6人の歌人)としても選ばれています。
歌風は情熱的な恋愛について詠まれたものが多く、どこか憂慮と哀愁を漂わせます。
絶世の美女と称されるからには、きっと恋愛事に関しても並みの人の比にならない経験を積んでいるに違いありません。
そしてそんな彼女だからこそ、彼女にしか分からない苦労や不安、苦悩も多かったのでしょう。
本当に手に入れたいものは手に入れられない、美女ならではの悩みもあったと推測できます。
また、『夢』という言葉がよく使われているのも小野小町の和歌の特徴です。
例えば、次のようなものです。
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るがわびしさ
(現実ではそうあっても仕方ないが、夢でさえ人目を避けて逢うことができないのは寂しいことだ)
当時は自由な恋愛など難しい時代。
会いたいと願っても、簡単には会えません。
ならばせめて夢の中だけでも……と望んでも、その夢ですら姿を現してはくれない。
他にも、「せめて夢だけでも」という想いは表された歌が多くあり、当時の恋愛に関してのもどかしさを感じさせます。
女性の繊細な心理をありのままに詠った小野小町は、まさに歌の名手だったのです。
小野小町を主題にした作品が多数存在
小野小町自体を主題にした作品は数多く存在しており、まとめて『小町物』と呼ばれることもあります。
例えば能では、小野小町を題材にした「七小町」という七つの謡曲があり、和歌の名手である小野小町を讃えるものや、年老いて乞食になった彼女を描いたものなど様々な内容が含まれていました。
また、歌舞伎や御伽草子にも用いられ、どれも絶世の美女であった小野小町を描いています。
小野小町のエピソード・逸話
お墓が全国に点在しており、どれが本物かは未だ判明していない
生まれた年も、亡くなった年も分かっていない小野小町。
それだけならいざ知らず、そのお墓ですら未だ正確なものは確定できていません。
というのも、なんと彼女のお墓は全国に存在しているのです!
北は秋田から南は山口まで、様々な場所に『小野小町の墓』があり、その各地で別々の伝承が残されているようですが、本物がどれかは分かっていません。
また、一説には、これだけ多くの墓があるにもかかわらずそもそも本物の墓自体が作られていない可能性すら示唆されていると言います。
やはり絶世の美女ということだけあって、死後もなお人々を惑わせる魔性の存在、というわけなのでしょうか(笑)
『君の名は。』は、小野小町の詠んだ和歌から着想を得ていた
2016年に公開され、空前絶後の大ヒットとなった新海誠監督による大作アニメ映画、『君の名は。』。
「夢の中での入れ替わり」をテーマに、作中で和歌が登場し重要な意味を持っていたりとどことなく和の雰囲気が漂う映画ですが、この作品が生み出されたきっかけは、小野小町の和歌であると監督は語っています。
その元となった和歌がこちら。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
(あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを)
夢の中で出会った想い人。
もちろん、目が覚めたらそこにはいない。
夢と分かっていたのなら、そのまま目を覚まさずにいたのに――。
平安時代に詠まれた一つの短い和歌が、現代で大ヒット映画に生まれ変わるというのは、なんだかとても素敵な話です。
4行でわかる小野小町のまとめ
- 絶世の美女として数々の逸話があるが、生まれや没年、出身地すら未だ不詳な部分が多い
- 和歌の名手であり、儚い恋心を詠んだものが多かった
- 小野小町を主題とした数々の作品が後世に作られた
- 彼女が眠るとされるお墓が全国に存在しており、本物は未だに断定されていない
小野小町については、現在では和歌や創作物の中でしかその素性を知ることが出来ません。
しかし、現代においても「絶世の美女」と評され続ける彼女は、きっと本当に美しかったのでしょう。
儚い恋愛についての和歌を多く残していたということは、それだけ恋焦がれていた人物が当時存在し、その恋は簡単には叶わなかったということだと思います。
美女と語り継がれるその裏には、彼女にしか分からない多くの苦労があったのでしょうね。
分かりやすい
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