幾たびもの失敗を乗り越え、失明という苦難を味わいながらも、日本にやってきた偉人、それが鑑真です。
彼を語るとき、「失明した」というエピソードが強調され過ぎて他が浮いてしまいがちですが、もちろんそれ以外にも、彼は日本で大事な功績を残しています。
唐の僧だった鑑真は、なぜ危険を冒してまで日本へやってきたのか?
また他にどのようなことを成し遂げたのでしょうか。
エピソードや逸話はを交えながら簡単にまとめてみました!
目次
鑑真のプロフィール
鑑真(がんじん)688-763。
唐の生まれで、奈良時代の帰化僧(他国からやってきて、その国に移り住んだ僧)。
日本における律宗の開祖です。
754年に日本にやってきて以来、亡くなるまで日本で過ごしました。
鑑真は何をした人?
では、具体的に鑑真はどのようなことをした人なのでしょうか。
鑑真で欠かせないものは、次の通りです。
- 律宗
- 5度の日本への渡航失敗と失明
- 日本への戒律制度の普及
それでは、詳しく見ていきましょう。
律宗の僧
律宗とは、戒律(修行僧の生活規範を定めるもの)の研究と実践を第一の目的とする、仏教の一宗派です。
鑑真はこの律宗を学び、唐で高名な僧として名を上げました。
5度の日本への渡航失敗
仏教が伝来したばかりのころの日本では、自誓授戒(自分で自分に規律を課すこと)が盛んでした。
しかし、奈良時代に入るとこれをないがしろにする人たちが多くなってきます。
その状況を危惧した人たちは、授戒(10人以上の僧尼の前で儀式を行うこと)の制度化を主張します。
要するに、「自分一人で決めさせるよりもみんなの前で宣言した方がサボらないだろ?」と考えたわけです。
留学僧の栄叡と普照はさっそく唐に渡り、当時戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れ、日本に来て授戒をお願いできないかと頼みました。
これを快く承諾した鑑真は、弟子に向けて「誰か日本に行きたいやついない?」と聞きますが、誰も行きたがりません。
海を渡ることは命の危険さえあったので、当然と言えば当然です。
そこで鑑真は、「じゃあ俺が行くよ」と自ら日本へ赴くことを決めました。
それを聞いた弟子たち、流石に自分たちが行かないというわけにもいかなくなり、結局21人の弟子たちも随行することになります。
しかしその後、日本への渡海を5回にわたり試みた鑑真一行は、ことごとく失敗に終わりました。
1度目は743年。
海を渡ることを嫌がった弟子の1人が、「日本の僧って実は海賊なんですよ!」と嘘をついたため、日本僧は追放され、渡航は一度中止となります。
2度目は翌年744年。
よく準備をして船を出しましたが、途中で激しい暴風に見舞われ、唐へ戻らざるを得なくなりました。
その後、3度目と4度目も、周囲の人間の妨害により失敗に終わってしまいます。
そして5度目。
日本へ向けて出発した鑑真一行は、再び激しい暴風に遭い、日本から遠く離れた海南島(中国南部にある島)へ漂着しました。
ここで1年過ごし、医薬の知識などを伝えた彼は、一度唐へ戻ろうとしますが、その途中で留学僧の栄叡の死、さらに気候や疲労による失明と、数々の不幸に襲われました。
両目の光を失いながらも、彼は754年、ついに念願の来日を果たします。
日本への戒律制度の普及
754年に太宰府に到着した鑑真は、戒壇院で初の授戒を行います。
その翌年には平城京に到着し、戒壇の設立と授戒について全面的に任され、東大寺に住することとなりました。
その後、彼の活躍により日本で戒律制度が急速に整備されていきます。
また、唐招提寺の建立、悲田院(仏教の慈悲思想をもとに、貧しい人や孤児を救うための施設)の創設など、仏教に深く関わる建物を多く生み出し、日本の仏教文化をより強固なものとしました。
鑑真のエピソード・逸話
鑑真のエピソード・逸話には、以下のようなものがあります。
日本最古の肖像彫刻になった
鑑真の死後、その死を惜しんだ弟子の忍基により、本人そっくりの彫像が作られました。
静かに座禅を組み、失明による影響か瞳を閉じたその姿からは、どこか厳かな雰囲気を感じさせますよね。
これが、日本最古の肖像彫刻となっています。
鑑真は死してなお、その姿と功績を後世に残したのです。
来日時の年齢は66歳だった
5度もの失敗を乗り越え日本に辿り着いた鑑真ですが、その時の年齢はなんと66歳。
こんなに高齢にもかかわらず、失明という苦難を乗り越え日本の戒律文化の発展に多大な助力をしてくれた彼は、まさに偉人と呼ぶべき人ですね。
3行でわかる鑑真のまとめ
- 律宗を深く学び、日本の律宗の開祖となった
- 5度に渡り日本への渡航が失敗し、その途中で失明もしたが、66歳の時に来日して以来は日本の戒律文化に多大なる功績を残した
- 死後、弟子により彫像が作られ、日本最古の肖像彫刻となった
鑑真が日本へ来たのはあくまでも留学僧からの要請によるものですが、彼の5度に渡ると孝と、その後日本へ与えた大きな影響から考えると、来日は本望だったのかもしれません。
弟子たちが後世にその姿を残そうとしたのも、鑑真の偉大さを潰えさせたくなかったからなのでしょうね。
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