明治天皇といえば、立派なヒゲと軍服姿の御真影(天皇の肖像画)から“勇ましい人”というイメージを持つ人が多いと思いますが、どんな事をした人物なのでしょうか。
調べても幕末の動乱と明治政府の成り立ちばかりが並べられて良くわからないですよね。
今回は明治天皇はどんな人物なのか簡単にわかりやすく紹介してみたいと思います。
目次
明治天皇のプロフィール
【明治天皇(めいじてんのう)】
- 諱(いみな/本名):睦仁(むつひと)、幼名:祐宮(さちのみや)
- 父:孝明天皇(第121代天皇)、母:中山慶子(権大納言・中山忠能の娘)
- 享年59(1852年11月3日生~1912年7月30日没)
- 第122代天皇(在位:1867年2月13日~1912年7月30日)
明治天皇は何した人?
明治天皇といえば激動の時代を生きた人ですが、そもそも何をした人なのでしょうか?
有名な出来事を並べてみると、
- 孝明天皇の急逝
- 大政奉還
- 王政復古の大号令
などがあります。
以下で詳しく解説しますね。
孝明天皇の急逝
1867年1月30日、父である孝明天皇が急逝してしまいました。
孝明天皇の死因は天然痘とされていますが、悪性の痔を患っている他は健康そのものだったことと、36歳の若さで崩御してしまったことから、「誰かに殺されたのでは?」ともいわれています。
孝明天皇が崩御したことで、1867年2月13日、皇位を継承する践祚(せんそ)の儀が行われ、明治天皇は満14歳の若さで天皇に即位しました。
大政奉還
明治天皇が即位して間もない、1867年11月9日、江戸幕府最後の将軍となる徳川慶喜が政権を朝廷に返上します。
長州藩や薩摩藩などを中心に、武力で幕府を倒そうとする動きが高まるなかで、討幕の密勅(幕府を倒せという命令)が下されたことで幕府は滅亡の危機に直面してしまいました。
そのため徳川慶喜は政権を形の上だけ朝廷に返すことで討幕派の勢いを逸らそうとしたのです。
王政復古の大号令
大政奉還に対して討幕派は、1868年1月3日、王政復古の大号令を発しました。
「大政奉還=江戸幕府の滅亡」とされることがありますが、大政奉還は討幕の密勅を無意味なものにするために政権を一時的に返しただけで、江戸幕府はまだ滅亡していません。
幕府を倒したいのに幕府がない。
そこで「幕府・摂政・関白」などの制度を廃止して、新しい政府をつくることを宣言したのです。
ここに約260年続いた江戸幕府は滅亡し、明治天皇は新しい時代の天皇となりました。
そして、新政府とともに天皇を中心とする中央集権体制を確立し、欧米列強に対抗できる近代国家を形成していきました。
明治天皇のエピソード・逸話
明治天皇には数々のエピソード・逸話があります。
有名なものをできるだけ紹介していきますね。
質素で倹約家
明治天皇はとても質素で倹約家だったといわれています。
どんなに寒い日でも暖房は火鉢1つだけ。
避暑や避寒も、自分が出かければ莫大な人手と経費がかかることを理由に拒みました。
日用品も、硯箱は何十年と同じものを、墨は手に墨汁がつくほど少なくなるまで使用していました。
たばこの火でボロボロになったテーブル掛けですら、取り替えることを許さなかったそうです。
明治天皇は自らを厳しく律することで、天皇としての威厳を保とうとしていましたが、そこには「国民とともに生きる」という強い思いがありました。
日清・日露戦争のときに明治天皇がとった行動が、それを物語っています。
1894年、日清戦争が始まると、明治天皇は大本営(日本軍の最高統帥機関)に自ら赴き、大本営が広島に移った後も現地で指揮をとりました。
その際、大本営に蚊帳を吊ることを禁じたのです。
蚊の襲来に耐えることで、少しでも戦地の兵隊と苦難をともにしようとしたのでした。
1904年、日露戦争が始まると、ストーブの使用を止めてしまいます。
そして季節が夏になり、暑い日が続いても軍服を脱がずに政務にあたったそうです。
しかし、鉄道局からもらった小さな扇風機だけは使っていて、最小限の涼はとっていたようです。
ハンパない記憶力
「陛下の御前ではごまかしが利かない」と大臣が冷や汗をかくほど、明治天皇の記憶力はズバ抜けていました。
一度聞いて見たことは、決して忘れない。
書類には必ず目を通して疑問点を書き入れ、内容を暗記して次の書類と違いがあれば注意して叱責する。
本当はおちゃめ?
非の打ちどころのない明治天皇も、政務から離れると周囲の人に“あだ名”をつけるおちゃめな一面がありました。
皇后や女官たちのことは自分が考えたあだ名で呼び、美子皇后は、鼻が高いという理由から「天狗さん」と呼んでいたそうです。
刀のコレクター
明治天皇は無類の刀剣愛好家としても有名で、東北巡幸(天皇が各地をまわること)で上杉家に立ち寄ったとき、上杉謙信以来の数々の名刀に夢中になりすぎて、翌日の予定が中止になってしまいました。
その話を聞いた旧大名家が「当家も!当家も!」と次々に刀剣を献上したことで明治天皇のもとには数多くの刀剣が集り、名刀の散財を防ぐことができました。
川魚が好きすぎて……
明治天皇はタラ、ひがい、アユなどの川魚は大好きだったけど、刺身が大嫌いだったので海魚や海苔は絶対に食べませんでした。
川魚のなかでも「ひがい」は特に大好物で、あまりにも多く食べたことから、「ひがい」は漢字で「鰉」と書くようになってまったとか。
肉も大好き!
明治天皇はカモ肉を好んで食べていましたが、奈良時代に聖武天皇が出した「肉食の禁」が解禁されたことで、牛・豚・羊などの肉を進んで食べました。
朝食には必ず牛乳を飲んでパンを食べることで、国民の食生活に新しい意識変化を促そうとしました。
死亡の理由は日本酒?
明治天皇は日本酒が大好きで、夜は女官たちと宴会を繰り返し、「酒を飲めぬ者に杯をやるのは、もったいないからやらない」というほど日本酒を好んでいましたが、糖尿病を患った晩年には健康を意識してワインを飲むようになりました。
しかし、糖尿病のほかにも、慢性腎臓炎と胃腸炎を患っており明治天皇の体はボロボロで、1912年7月30日午前0時43分、明治天皇は満59歳で崩御しました。
5行でわかる明治天皇のまとめ
- 14歳で天皇に即位。
- 明治天皇の時代に「大政奉還」「王政復古の大号令」が行われる。
- 質素で倹約家。
- 記憶力がすごく聡明だが、周囲の人にあだ名をつけるおちゃめな面も。
- 刀・川魚・肉・日本酒が大好き。
明治天皇は、幕末の動乱のさなかに天皇に即位して、近代国家の確立に尽力しました。
そして、その功績と人物像から「明治大帝」と呼ばれるなど、近寄りがたい人物のように伝えられています。
しかし、その素顔には人間味あふれるエピソードもたくさんあります。
これからも、明治天皇は近代日本成立の指導者の象徴として語り継がれるでしょう。