江戸時代

本居宣長ってどんな人?もののあわれの意味や古事記伝の完成などをわかりやすく解説

本居宣長

本居宣長(もとおりのりなが)ってどんな人なんでしょう。

名前は知ってる、でも何をしたかよく知らない、こんな感じですよね。

この記事では本居宣長はどんな人物なのか、経歴やエピソードを踏まえてご紹介します。

本居宣長のプロフィール

  • 生誕 1730年5月7日
  • 死没 1801年9月29日
  • 享年 71歳
  • 出身地 三重県松阪市

宣長は伊勢(三重県)松阪に木綿問屋の小津家に二男として生まれました。

商人の子です。
当然成長すれば商人になることが期待されて育ちますね。

しかし、ある商家の婿養子になるんですが、商売はなんとなく性に合いません。

宣長は読書と和歌を詠むことが何よりも好きでした。

結局、離縁して松阪に戻ってしまいます。

そんなに読書が好きなら勉強してこいということで、なんとお母さんが宣長を京都に遊学させてくれるのです。

宣長23歳、勉強を開始するには早い時期とはいえません。
この京都遊学の5年間、宣長は猛勉強します。

まさむね
まさむね
猛勉強というと無理やり感がありますが、実際はもう楽しくて仕方なかったんじゃないでしょうか。

学んだのは医学と漢学です。

松阪に帰ってからは医師として開業し、その空いた時間を古典研究に捧げました。

やがて名声が高まっていき、多くの弟子にめぐまれ、たいした波乱もなく穏やかな人生を送りました。

本居宣長は何をした人?

本居宣長は江戸時代の学者です。

250年も続いた江戸時代でスゴイ仕事をした学者トップ3をあげろ、と言われたら本居さんは必ずランクインします。

残された著作はあまりにも膨大ですから、全容に触れることはできませんが、本居宣長を理解する上で重要なキーワードは

  • もののあはれ
  • 漢意(からごころ)

の2つです。

以下で詳しく解説していきますね。

もののあわれ

宣長は源氏物語をこよなく愛しました。

宣長が源氏物語を論じた『紫文要領』という作品のなかで、「もののあわれ」というキーワードが初登場します。

「もののあわれ」とは、素直に心に感じること、それを素直に受け止めることです。

きれいな女性がいる。
その女性に恋をする。
それが「もののあわれ」です。

恋愛感情だけではありません。

勉強で、スポーツで一番になりたい。
それも「もののあわれ」です。

有名になってちやほやされたい。
それも「もののあわれ」です。

出世したいというのもそうです。
金持ちになりたいというのもそうです。

人情に善悪の基準をあてはめないこと、こころのありのままを知ること、それが「もののあわれ」といえます。

漢意(からごころ)

もうひとつの「漢意(からごころ)」はどうでしょう。

これは「もののあわれ」の反対ですね。

人情に善悪の基準を持ち込むことです。

「出世したいというのは浅ましい考えだ」とか、「金持ちになりたいというのは自分勝手な考えだ」とかですね。

心に感じたことが誰かの基準によって否定されたり肯定されたりする、と言い直してもいいでしょう。

宣長は「漢意」を毛嫌いしました。

「漢意」を捨てて、「もののあわれ」を大切にすることを何回も説いています。

まさむね
まさむね
宣長流の「考えるな、感じろ」ですね。

古事記伝を完成させる

宣長の大きな仕事といえば、この古事記伝の完成です。

まさむね
まさむね
30何年もかけて完成させたというから、驚きです。
まさに継続は力なりですね。

現在でも、古事記伝は古事記を研究する際の最重要文献ですから、そのレベルの高さがわかると思います。

そもそも、宣長が古事記伝を書く前は、古事記はそれほど重要視されていた文献ではありませんでした。

古代研究のためには何よりも日本書紀が尊重されていたのです。

その評価を変えたのが宣長でした。

宣長以降、古事記が最重要テキストとして知られるようになったのです。

まさむね
まさむね
トレンドを変えてしまったんですから、これはスゴイことですね。

本居宣長のエピソード・逸話

宣長の人柄がしのばれるエピソードを少し紹介しましょう。

鈴のコレクター

鈴が大好きだったようですね。

書斎にも鈴を飾っています。

まさむね
まさむね
自宅も「鈴屋(すずのや)」と呼ばれていますね。

既製品の鈴を買い集めるだけではなく、京都で鈴をつくらせたこともありました。

桜が大好き

桜は特に好きな花だったようです。

しきしまの 大和ごころを人とはば 朝日ににほふ山ざくら花

宣長の有名な歌です。

『枕の山』という桜の歌だけ三百首も詠んだ著作もあります。

まさむね
まさむね
よっぽど好きだったんですね。

墓を二つ作れとの奇妙な遺言

奇妙な遺言も残しています。
「墓を二つ作れ」というのです。

具体的には、妙楽寺という寺と、樹敬寺という寺二か所です。

そして遺骸は妙楽寺に葬り、樹敬寺は空にしておけというのです。

遺骸を葬るときは夜に妙楽寺に運ぶようにと遺言しています。

まさむね
まさむね
当時にもこんな風習はなかったようで、家族や弟子たちも困ったんじゃないでしょうか。

この奇妙な葬送は、役所のほうで許可がおりなかったようですが、一体どういう意味があったのか、いまも不明のままです。

5行でわかる本居宣長のまとめ

まとめ
  • 本格的に学問を始めたのは遅かった
  • 「もののあわれ」と「漢意(からごころ)」を説いた
  • 古事記伝を30数年がかりで完成させた
  • 鈴と桜が大好き
  • 墓を二つ造らせようとした

本居宣長は史料も豊富に残っていますから、興味をもったらぜひ調べてみてください。

そして、できれば、本居宣長が書いた本(文庫で手に入ります)を一度読んでほしいと思います。

宣長の人柄が伝わってくる名文なのです。

宣長の著作は、日本語がこの世に存在するかぎり、読まれ研究されていくに違いありません。

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