よく漫画やアニメで耳にする、「剣豪」という言葉。
しかし、いざそれに見合う人物を思い浮かべてみたとき、該当するのはそれほど多くないのではないでしょうか。
おそらく多くの人が、この2人を思い浮かべるはずです。
佐々木小次郎、そして宮本武蔵。
まさに「剣豪」と呼ぶに相応しい人物たちです。
この記事ではそのうち、どちらかというと多くの作品で題材にされることの多い宮本武蔵について詳しく見ていきたいと思います。
彼は巌流島の決戦以外に何を成し遂げた人物なのか?
他のエピソードや逸話は?
簡単にまとめてみました!
目次
宮本武蔵のプロフィール
宮本武蔵(みやもとむさし)1584-1645。
剣術家としての姿が一番有名ですが、それ以外に兵法家・芸術家としても知られています。
出生地は確定できていませんが、墓は今の熊本県熊本市に残されています。
宮本武蔵は何をした人?
宮本武蔵を語るうえで重要な出来事は次の2つです。
- 五輪書の執筆
- 巌流島の決戦
それでは、1つずつ見ていきましょう。
五輪書の執筆
五輪書(ごりんのしょ)とは、宮本武蔵が1643年から1645年の2年間、死の直前に渡るまでかけて執筆したとされる兵法書です。
剣術の奥義をまとめたものであり、密教の五輪(五大)からなぞらえて「知・水・カ・風・空」の全五巻に分けられています。
それぞれ説明すると、
- 地の巻……自らの流派「二天一流」についてと、武蔵自身の生涯など
- 水の巻……「二天一流」の実践方法
- 火の巻……戦いにおける心構えなど
- 風の巻……ほかの流派についての批判
- 空の巻……兵法の本質について
現代では創作の中でしか見ないような言葉ばかり並んでいますが、歴史的にはちゃんと実在していたものだったのです。
しかし、この本自体は武蔵の死後に弟子が創作したのではないかとする見方もあるという話。
私としては、ぜひ大剣豪・武蔵本人の言葉であってほしいと願うばかりです(笑)
巌流島の決闘
宮本武蔵と佐々木小次郎を語るうえで絶対に外せないエピソードと言えば、巌流島の決闘ですよね。
巌流島は、山口県の下関市から南に位置する小さな島です。
二人はここで決闘を行ったと言われています。
日時に関しては諸説あるようですが、1672年として一般的に知られています。
当時、宮本武蔵は諸国を旅する武芸者として修業を積んでいました。
より強い者を倒してこそ、自分はさらに高みへ登れる――そんな考えを持っていたからか、彼は道場を開いていた佐々木小次郎に決闘を申し込みます。
「巌流島にて待つ」という言葉を残し、遂に決闘当日。
対戦相手の佐々木小次郎は、言われた通りの時間に到着し、その時を待っていました。
しかし、待てども武蔵はやってきません。
「もしや逃げたのか……?」と小次郎が油断した、その時!
遅れてやってきた武蔵が、木剣で小次郎を討ち取ったのです。
卑怯と言われようとも、これはあくまで決闘。
勝った方が勝者であり、負けた方が敗者になることに違いはありません。
こうして、巌流島の決闘は宮本武蔵の勝利で幕を閉じました――
と、現代に伝わる話はこういった形がほとんどですが、実際のところはどうだったのか、確定は出来ていないらしいです。
本当に武蔵が遅れてきたのか、それが策だったのか偶然だったのか、何もかもがはっきりとしてはいません。
大事なのは、ロマンなのです!
宮本武蔵のエピソード・逸話
二刀流の使い手だった
今でいうと二刀流は当たり前のように漫画などで見られますが、実際にやってみようとするとかなりきついです。
腕にかかる負担が半端ではなく、実践的な流派ではないことが分かります。
ところが、武蔵はこの扱いの難しい流派をいとも簡単に使いこなしていたそうです。
それを可能にしたのが、人並外れた彼の剛力。
片手で刀剣を使いこなすことなど、彼にとっては朝飯前でした。
絵を描くなど、芸術家としての側面もあった
『剣豪』が一般的な武蔵ですが、芸術家としての姿も歴史に残されています。
例えば1666年の『海上物語』には、武蔵が絵を描く話が記されていました。
また、武蔵が描いたとされる多くの作品を全国の美術館でも見ることができます。
他にも書や工芸品が残されていたりと、武蔵が作ったとされるものは多いです。
4行でわかる宮本武蔵のまとめ
- 「五輪書」で剣術の奥義について書き記した
- 巌流島の決戦では時間に遅れていくことで佐々木小次郎に勝利したとされているが、真実かどうかは定かではない
- 二刀流の使い手だった
- 芸術家としての側面も持っていた
今や宮本武蔵は創作の中のキャラクターとして扱われてしまうことが多いですが、現実の彼もそれに遜色ないほどの実力の持ち主でした。
剣豪としての姿、そして芸術家としての姿は、現代になっても語り継がれ、その人気は衰えることがありません。
かつて宮本武蔵という人物がこの国に存在したという事実、これだけは確かなのです。
これからもますます人気は上がっていきそうですね!
すげぇーーーー