安土桃山時代

佐々木小次郎はどんな人?実在した?謎の多い剣豪の生涯に迫る

佐々木小次郎

巌流島の決闘――そこで闘った、二人の剣豪。

ご存知、宮本武蔵と佐々木小次郎です。

日本で最も有名な剣豪である彼らは、この決闘以外のエピソードはあまり知られていません。

確かに、今となっては様々な創作でモチーフとして使われ、歴史上の人物というよりはもはや架空のキャラクターとして扱われることも多くなっています。

しかし、現実に存在し今世までその名が残されているということは、巌流島以外にも成し遂げたことがあるということに他なりません。

今回は、武蔵に戦略で打ち破られた悲運の剣豪・佐々木小次郎について見ていきたいと思います。

彼は他にどのようなことをしたのか?
また、エピソードや逸話は?

簡単にまとめてみました!

佐々木小次郎のプロフィール

佐々木小次郎(ささきこじろう)

生年不明-没年1612。

安土桃山から江戸時代初期のかけての剣客。

剣号として岩流(巌流)を名乗り、それが巌流島の由来になったと言われています。

佐々木小次郎は何をした人?

秘剣「燕返し」の案出

ゲームや漫画、または麻雀用語としても使われることがある、「燕返し」

なんともカッコいい響きで、どの作品においても必殺技として用いられることが多いです。

その大本となる剣術を生み出したのが、佐々木小次郎なのです。

彼の生み出した「燕返し」とは、空を飛ぶ燕が身を返すように、振り下ろした刃を瞬時に返して即座に二撃目に移るという剣術。

つまり、素早い刃の動きで相手に隙を与えずに連続で攻撃を仕掛けることができるということです。

しかも小次郎は、この技を90cm以上もある太刀を用いて行っていました。

これが実現できたとすると、相手はきっと間合いを詰める暇もなくやられてしまうことでしょう。

まさむね
まさむね
こう聞くと、本当に必殺技と言われても納得してしまうほど凄い剣技だと感じますよね。

ただ、創作の中においては、その名前の響きからか相手の攻撃に反応してのカウンター技として用いられていることが多いようです。

そして、ここまで語っておいて言うのもなんですが、この「燕返し」はそれ自体がそもそも創作されたものだとする見方がほとんどとなっています。

まさむね
まさむね
まあ本人の存在からして実在していたのかが疑問視されているほどですから、確かに当たり前と言えば当り前ですね。

しかし、この名前が今日までに様々な場所で用いられ、大きな影響を与えていることは疑いようのない事実です。

本当か嘘か、その議論さえも、彼の魅力を引き立たせているようにも感じてしまいますね。

巌流島の決闘

宮本武蔵と佐々木小次郎。

この二人の名前を聞いて、「巌流島の決闘」を思い浮かべない人はいないでしょう。

改めてまとめると、通説では以下のように知られています。

宮本武蔵は武者修行のために旅をしており、その道中で道場を開いていた佐々木小次郎に出会った。

強者との闘いに飢えていた武蔵は、小次郎の強さに惹かれ、決闘を申し出た。

受け入れた小次郎は指定された巌流島に先に到着したが、武蔵はなかなか現れない。

しびれを切らし油断したその時、武蔵が現れ木剣で一閃!

結果として、この決闘の勝者は武蔵、敗北者は小次郎として語り継がれるようになった。

という、聞いてるだけでは武蔵の評判が著しく下がってしまいそうなエピソード。

しかし、実際のところどうだったのかは、はっきりとしていないのが現状です。

武蔵が遅れていったのが嘘という説や、そもそもその存在自体が創作なのではないかとする説まで様々な議論がなされています。

巌流島、そこに刻まれた歴史、果たしてその真実とは?

まさむね
まさむね
可能性がたくさんあるからこそ、こうして現代に至ってもその伝説の知名度は衰えることがないのかもしれませんね。

佐々木小次郎のエピソード・逸話

小次郎は武蔵よりもはるかに年上だった?

決闘と聞くと、思い浮かべるのは同格の二人ですよね。

少し中年くらいの男二人が互いを睨みながら、剣を手に相対する……こんな渋い情景を思い浮かべてしまいます。

しかし、様々な文献から考察した結果、実は佐々木小次郎は宮本武蔵よりもはるかに年上だったのではないか、とする見方が強いようです。

一説では、70歳を超えていたのではないかとも……。

まさむね
まさむね
流石にそれだと、今までのイメージが全く異なってきますよね(笑)

ただ、仮に小次郎が武蔵よりも年が上で、見た目からベテラン感が漂っていたのだとしたら、強さを恐れた武蔵が時間に遅れていくという策を弄したのも理解出来なくはない気もします。

格上だったからこそ、確実に勝てる戦法を取った。

もしかしたら、そんな真実なのかもしれません。

エピソードのほとんどは創作?

吉川英治が1935年から1939年にかけて執筆した小説、『宮本武蔵』。

題名通り、宮本武蔵の生涯を描いた作品ですが、その中にはもちろん巌流島の決闘のことも書いてあります。

しかし、小説はあくまで小説。

しかも時代小説ともなれば、多少なりともフィクションが混ざるのは致し方のないことだと言えます。

ただ、佐々木小次郎に関しての文献は少なく、彼の真実の姿は誰にも分かりません。

そこに与えられたのが、この小説からの情報であるというわけです。

つまり、佐々木小次郎に関しての話には、吉川英治により生み出されたものが含まれていることが多いのです。

どこまでが真実でどこからが創作なのか、それはもはや今となっては判断のつけようもありません。

初めから謎多き佐々木小次郎は、昭和の時代を経てさらにミステリアスな剣豪になりました。

まさむね
まさむね
分からないからこその人気、ということでもあるとは思いますけどね。

3行でわかる佐々木小次郎のまとめ

まとめ
  • 素早く刃を返して追撃を行う「燕返し」を考案した
  • 巌流島の決闘では宮本武蔵の策により敗れたとされているが、未だ真実は不明
  • 武蔵よりもはるかに年が上だったという見方が強い

宮本武蔵との決闘で負けてしまったとされる小次郎ですが、その実力は決して武蔵に及ばないものではありませんでした。

むしろ、現代に残る「佐々木小次郎」は、かつてないほどの大剣豪として人々の心に名を刻んでいます。

まさむね
まさむね
試合に負けて勝負に勝った、とでも言うべきなのかもしれませんね。

宮本武蔵とともに、その人気はこれからも衰えることなく後世に伝えられていくことでしょう!

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