平安時代

チンギスハンってどんな人?源義経と同一人物って本当?

チンギス・ハン

モンゴル帝国を開いたことで有名なチンギス・ハンはどのような人物だったのでしょうか?

帝国を築くまでの生い立ちやその活躍、エピソードについてご紹介します。

チンギスハンのプロフィール

  • 名前:チンギス・ハン(漢字では成吉思汗)
  • 生誕:1162年5月31日
  • 死没:1227年8月25日
  • 享年:65歳

チンギスハンは何した人?

チンギス・ハンはモンゴルで有力な部族の首長であるイェスゲイ・バアトルの長男として生まれました。

イェスゲイ・バアトルは、有力部族であるケレイトの王トグリルと同盟を結んで勢力を拡大していました。

しかし、イェスゲイはチンギスがわずか9歳のときに暗殺され、母に育てられることになりました。

イェスゲイが亡くなった後、家臣たちは次々に去っていき、周囲の部族たちも好き勝手をするようになりました。

そうして、チンギスもタイチウトという部族に捕らえられてしまいます。

しかし違う部族の助けもあり、なんとか逃げ出すことができました。

まさむね
まさむね
幼い頃から波乱万丈ですね。

モンゴルを統一

成長したチンギスは、亡き父に仕えていた戦士や遊牧民などを従えるようになり、族長としての力を発揮していきます。

当時のモンゴルには大小の様々な部族がいました。

これをチンギスはひとつずつ制圧していきます。

他の部族で特に大きな敵となったのは、ジャムカとオン・ハンという部族でした。

ジャムカはチンギスが狙われていたときに助けてくれた盟友でしたが、このときには敵同士になっていました。

ジャムカはタイチウト族と連合軍を結び立ち向かいますが、チンギスはこれを1200年に撃破します。

その後も次々と部族を制圧し、1205年にモンゴルを統一することに成功しました。

1206年、クリルタイというモンゴル部族長の大集会でハンに抜擢され、名前をチンギス・ハンと称するようになりました。

この即位によりモンゴル帝国が成立しました。

外国を侵略

チンギスはモンゴル帝国を強固なものにするために、まず組織改革を行いました。

制圧した遊牧民を領民に、諸部族の指導者を貴族として分けました。

貴族には千人隊長という役職を与え、領民はその下とし、千人隊と呼ばれる集団としました。

将来の幹部を育成するための機関や情報伝達を行うための機関なども設け、軍隊国家の基礎をつくりました。

まさむね
まさむね
武力ではなく、国をまとめるセンスもあったのですね。

また領土を広げるために、諸外国への侵略も始めます。

1211年、中国の金と開戦します。

最初は中国軍の強靭な守りによって侵略に失敗しました。

しかし、中国との闘いで攻城戦術を学んで攻略できるようになると、1215年には金に勝利し領土にすることができました。

1219年頃からは西に勢力を広げます。

ナイマンという国の王は西遼の王位を奪いトルキスタンに逃れていました。

この混乱を利用して、チンギスは家臣を向かわせナイマンを滅ぼしました。

西遼に属していた西ウイグル王国も支配下にし、ウイグル人をモンゴル帝国の官僚にしました。

さらに当時の中央アジアで力を持っていたホラズム・シャー国も征服し、イランにも侵攻しました。

その部下の一部は南ロシアにまで侵入しました。

1227年にはモンゴル高原の南に位置する西夏に遠征しました。

しかしこの遠征中に危篤状態となり、この世を去りました。

チンギスの死は敵軍に知られないよう極秘にされ、遺体の搬送作業を見た者は殺害されるほどでした。

モンゴル高原に埋葬されたとされていますが、墓の所在地は現在も分かっていません。

子孫がモンゴル帝国をさらに拡大

チンギスには4人の息子がおり、これまでの戦で手に入れた領地を息子たちに分け与えました。

長男のジュチは戦での働きも優秀でしたが、若くして亡くなってしまいました。

次男のチャガタイは気性が荒く、人望がありませんでした。

三男のオゴデイはおとなしく、四男のトゥルイは父親に最もかわいがわれており優秀な実力者でしたが、後継者には三男のオゴデイが指名されました。

ちなみに、四男トゥルイの息子が有名なフビライ・ハンの父親にあたり、フビライ・ハンはチンギス・ハンの孫となります。

フビライ・ハンは祖父が築いたモンゴル帝国をさらに拡大させ、強固なものとしていきました。

チンギスハンは源義経だった?

チンギス・ハンは源義経だったのではないかという噂があります。

源義経は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟にあたります。

平氏を滅ぼすために兄に協力し、圧倒的な強さで敵を撃破、討伐の力となりました。

しかし、その強さゆえに源頼朝と対立関係になり、奥州に逃れましたが追い詰められ自害したとされています。

しかしこの源義経は亡くなっておらず、蝦夷地に逃げたという一説もあります。

その後大陸に渡り、なんとチンギス・ハンになったという説まで誕生しました。

戦で抜群のセンスを発揮し、次々と敵を倒した功績のある義経は確かに帝国を築いたチンギス・ハンとの共通点もありますが、はっきりとした証拠はどうやらないようです。

まさむね
まさむね
真相は闇の中…ですね。

4行でわかるチンギスハンのまとめ

まとめ
  • 父の死後、一時は敵に捕らえられたりもしたが、部下を統率し力をつけていく
  • 周囲の部族を次々と制圧し、モンゴル帝国を開く
  • 諸外国も侵略し、代々領土を拡大していく基礎を築く
  • 源義経と同一人物の一説があるが、真相ははっきりしていない

チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国は、人類史上最大規模といわれています。

源義経がチンギス・ハンになったとすると、日本人としては夢がある話ですが、残念ながらはっきりとは分からないようです。

今後真相に迫るような証拠が発見されるといいですね!

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