鎌倉時代

フビライ・ハンってどんな人?チンギス・ハンとの関係や元寇について

フビライハン

フビライ・ハンは日本に攻めてきた「元寇」で有名な人物ですよね。

その生涯はどのようなものだったのでしょうか。

生い立ちから逸話まで、紹介していきます。

フビライ・ハンのプロフィール

  • 名前:フビライ・ハン(モンゴル語の発音ではクビライ)
  • 生誕:1215年9月23日
  • 死没:1294年2月18日
  • 享年:79歳
  • 時代:元(日本では鎌倉時代)

フビライ・ハンは何をした人?

チンギス・ハンの孫として生まれる

フビライ・ハンは1215年に、チンギス・ハンの4男であるトルイの子として生まれました。

チンギス・ハンとは、1206年にモンゴル帝国を建設した人物です。

当時のモンゴルは大小の様々な部族に分かれていたのですが、チンギス・ハンがこれを統一してモンゴル帝国としました。

さらに勢力を広げ、中央アジアなどの周辺の国も征服しました。

まさむね
まさむね
フビライはこんな偉大な人物の孫として生まれたのですね。

モンゴルの皇帝になる

フビライ・ハンはモンゴルの皇帝として有名ですが、すぐに皇帝になれたわけではなく、兄のモンケが先に第4代皇帝になりました。

モンケからの信頼は厚く、中国方面を征服するために大総督という役職を任されました。

中国征服に備えるためにチベットや雲南に遠征していた最中、1260年にモンケが急死しました。

これにより第5代皇帝として即位することになりました。

モンゴル帝国を「元」に改名する

皇帝になれたフビライですが、即位に不満をもつ勢力との争いもありました。

末の弟であるアリクブケがその一人で、同じく第5代皇帝を名乗りだしました。

この弟を領土から追い出し、1264年に権力を握ることに成功。

1267年には都を大都(現在の北京)に移して、1271年に国の名前を中国風に「元」と改めました。

まさむね
まさむね
兄弟の間でも熾烈な争いがあったのですね。

中国を統一する

国の改名には、中国を支配したいという思惑がありました。

当時の中国には南宋という国がありました。

南宋は水田や堀が多く、モンゴル帝国が得意としていた騎馬隊の力が発揮できず、長い間苦しんでいました。

しかし、1276年には臨安を占領して南宋を征服、中国統一を実現しました。

確実に周囲を征服し、モンゴル帝国を強固なものにしていきましたが、フビライは領土を拡大させるだけでなく、国際的な政治も進めました。

違う民族であっても優秀な人物を登用し、宮廷ではイスラム教徒を官僚に用いたり、異民族の力で商業を拡大させたり、運河の整備にも取り組みました。

この頃に有名なヨーロッパの商人マルコ・ポーロがフビライのもとを訪れ、様々な世界の情報を提供しました。

元寇で日本を攻める

フビライ・ハンで忘れてはいけないのが、2度にわたる日本への「元寇(げんこう)」です。

マルコ・ポーロの「東方見聞録」には日本の豊かさについて書かれており、フビライは日本に目をつけていました。

そこで6回にわたりモンゴル帝国への服属を求める使者を送りましたが、日本はこれに返答をしませんでした。

そして武力での侵攻に踏み切ります。

元寇は1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の2度行われ、どちらも北九州に攻め込みました。

圧倒的な武力を保持していたモンゴル軍ですが、なんと2度とも暴風雨により撤退を余儀なくされてしまいました。

神風が吹いたことで日本は危機的な状況を免れることができましたが、元寇に備えるために多大な負担が発生し、それが鎌倉幕府滅亡の原因のひとつとなりました。

まさむね
まさむね
フビライの進行は日本に大きな影響を与えたのですね。

フビライの最期

73歳になったフビライは、子どもたちに先立たれてしまい、危機的状況にいました。

それに追い打ちをかけるように、中国東北部を占領していたチンギス・ハンの子孫ヤナンや周辺の民族が反乱を起こしました。

70歳を超えていたにもかかわらず、自ら戦場に赴き、反乱軍をあっという間に降伏させました。

最後までその圧倒的な力を発揮したフビライでしたが、1294年に79歳で生涯を終えました。

この年齢は当時としては異例の長命でした。

フビライ・ハンのエピソード・逸話

フビライ・ハンには2桁を超える子どもがいました。

残されている書物によると、「集史」には12人、「元史」には10人と記載されています。

コンギラト族出身の子女チャプイやナムプイといった妃の他にも、複数の妃がいたといわれています。

しかし、もっとすごかったのは祖父のチンギス・ハンです。

その子どもの数は、一説では100人を超えたといわれています。

さらに最近のオックスフォード大学の研究では、現在のチンギス・ハンの直径子孫は1,600万人を超えるという結果が出ました。

チンギス・ハンは数々の国を滅ぼしたときに、その国の多くの女性までも手に入れてしまったそうです。

近年の移民により、その遺伝子の影響力はヨーロッパにも及ぶといわれており、当時の偉大な力は現在も衰えることはないようです。

4行でわかるフビライ・ハンのまとめ

まとめ
  • モンゴル帝国の創設者である、チンギス・ハンの孫として生まれた
  • モンゴル帝国を「元」に改名し、中国統一など領地を拡大した
  • 元寇で2度にわたり日本を攻めるが失敗に終わる
  • 多くの子どもを残したが、祖父のチンギス・ハンはもっとすごかった

現在のモンゴルはアジアの中のひとつですが、その昔の勢力は凄まじいものでした。

日本にも影響を与えた、フビライ・ハンについて知っていただけると幸いです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。