MENU
飛鳥時代

推古天皇ってどんな人?わかりやすく簡単にまとめてみました

推古天皇

飛鳥時代初期の日本で初めての女帝、推古天皇。

推古天皇は蘇我馬子、聖徳太子の影に隠れてしまってどういう人だったのか今一つわからなく、謎に包まれています。

最近、日本の皇室も女帝誕生を議論されていますが、最初の女帝、推古天皇はどういう経緯で女帝になったのでしょうか。

この記事では、女帝「推古天皇」の経歴や偉業についてご紹介します。

推古天皇のプロフィール

推古天皇は554年5月21日、欽明天皇・蘇我稲目の娘、堅塩姫との間に生まれました。

蘇我馬子の姪にあたり、厩戸皇子(聖徳太子)の叔母になります。

593年、39歳の時に第33代天皇になり、在位期間36年の長期にわたり君臨しました。

諱を「額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)」、和風諡号を「豊御食賀炊屋姫(とよみけかしきやひめ)」と言います。

推古天皇は漢風諡号になります。

まさむね
まさむね
古代の人の名前は本当に舌を噛みそうな名前ですね。

日本書紀の推古記に「幼曰 額田部皇女 姿色端麗 進止軌制 年十八歳 立爲渟中倉太玉敷天皇之皇后 卅四歳、渟中倉太珠敷天皇崩」とあり、簡単に意味を解釈しますと、「姿は綺麗で、性格は落ち着いていて18歳で敏達天皇の皇后になり34歳の時に敏達天皇が崩御した」ということです。

敏達天皇との間に2男5女(一人早世)、

  • 菟道貝蛸皇女(うじのかいたこひめみこ)【聖徳太子妃】
  • 竹田皇子(たけだのみこ)
  • 小墾田皇女(おはりだのひめみこ)【押坂彦人大兄皇子妃】
  • 尾張皇子(おわりのみこ)【聖徳太子の妃橘大郎女の父】
  • 田眼皇女(ためのひめみこ)【田村皇子(後の舒明天皇)妃】
  • 桜井弓張皇女(さくらいゆみはりのひめみこ)【押坂彦人大兄皇子の妃・来目皇子の妃】

らを儲けました。

628年4月15日に崩御しました。

推古天皇は何をした人?

第33代天皇に即位

推古天皇の夫、敏達天皇が585年に崩御した後、聖徳太子の父の用明天皇が2年ほど即位し、その後、推古天皇の兄弟、崇峻天皇(すしゅん)が即位したが、崇峻天皇が592年に蘇我馬子に暗殺されてしまいそのよく月に炊屋姫が推古天皇として即位しました。

推古天皇の本心は息子の竹田皇子を即位させたかったのですが、若年だったため中継ぎとして即位しました。
(竹田皇子は間もなく早世してしまいました。)

推古天皇は特筆すべきことは、残念ながら何もしていません。

政務は蘇我馬子と厩戸皇子(聖徳太子)がとっていたからです。

しかし、近年の研究で推古天皇は傀儡の天皇だったわけではなく、蘇我馬子と良いパートナーとして政務していたのではないかと言われます。

推古天皇は晩年、「朕は、蘇我の出身である。蘇我馬子は叔父にあたる。馬子のいったことは夜であれば夜の明けぬうちに、朝であれば日が暮れぬうちにどんな言葉でも用いてきたではないか」と語っています。

まさむね
まさむね
推古天皇は、蘇我馬子のことを寄らば大樹の陰として良いパートナーシップを築いていこうとしたのかなと思います。

遣隋使の派遣

推古天皇は、生涯にわたる大プロジェクト「遣隋使」を行いました。

遣隋使が何回行われたかは定かではありませんが、推古天皇8年(600年)から推古天皇26年(618年)に隋が滅びるまで18年間に6回ほど派遣されました。

最初の遣隋使は600年に行われましたが、日本側の記録は一切残っていなく「隋書、倭国伝」に隋の初代皇帝、文帝のもとに倭国からの使者が訪ねてきたと記載されています。

遣隋使は618年に隋が滅びるまで続きましたが、中国との国交、留学生の派遣は「遣唐使」として引き継がれていきます。

推古天皇のエピソード・逸話

蘇我氏の要望を断る

推古天皇のエピソードで有名なのは、624年、蘇我馬子が生誕地である葛城県(かつらぎのあがた)をくれるように推古天皇に頼みました。

当時の葛城県は、大王領だったからです。

しかし推古天皇は「馬子は私の叔父だから要求を受け入れてきたが、これだけは承諾できない」とつっぱねました。

このことは、初めて推古天皇が蘇我馬子に主張したエピソードとして有名な話です。

まさむね
まさむね
推古天皇の反論は、即位してから30年あまり、天皇しての威厳をそなえてきた証ではないでしょうか。

国を治めるためのマニュアルを残す

もうひとつ推古天皇には逸話があります。

推古天皇は亡くなる前日に自分の後継者になるであろう、娘婿の田村皇子と厩戸皇子(聖徳太子)の皇子、山背大兄王を枕元に呼んで遺言を残しました。

田村皇子には「天下を治めるというのは、安易に口にだせるようなことではありません。行動を慎み、物事を見通すように心がけなさい。」

山背大兄王には、「あなたはまだ、未熟なので心でこうしたいと思ってもあれこれ言わず、必ず群臣の意見に耳をかたむけるようにと」と告げました。

結局、田村皇子が次の天皇、舒明天皇(じょめいてんのう)になりましたが、推古天皇の遺言は国を治めるためのマニュアルがギュッと凝縮されている言葉です。

推古天皇のまとめ

まとめ
  • 推古天皇は554年5月21日、欽明天皇・蘇我稲目の娘、堅塩姫との間に生まれた。
  • 593年、39歳の時に第33代天皇になり、在位期間36年の長期にわたり君臨した。
  • 姿は綺麗で、性格は落ち着いていて18歳で敏達天皇の皇后になり34歳の時に敏達天皇が崩御した。
  • 崇峻天皇が592年に蘇我馬子に暗殺されてしまいそのよく月に炊屋姫が推古天皇として即位した。
  • 推古天皇は、生涯にわたる大プロジェクト「遣隋使」に行いました。
  • 624年、蘇我馬子が生誕地である葛城県(かつらぎのあがた)をくれるように推古天皇に頼みましたが、「馬子は私の叔父だから要求を受け入れてきたが、これだけは承諾できない」とつっぱねた。
  • 推古天皇は亡くなる前日に自分の後継者になるであろう、娘婿の田村皇子と厩戸皇子(聖徳太子)の皇子、山背大兄王を枕元に呼んで遺言を残した。

日本の最初の女帝、推古天皇。

権謀渦巻く朝廷でサバイバルに心を砕いて治世36年を生き延びた女帝の姿をここに見る思いがしました。

関連記事

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。