戦国時代

【塚原卜伝の逸話】最強の剣豪が使った無手勝流とは?宮本武蔵との関係など

塚原卜伝

あなたが剣豪と聞いてまず頭に思い浮かぶのは誰ですか?

宮本武蔵?
佐々木小次郎?

そうです、剣豪と呼ばれる人はたくさんいます。

その中でも日本一と言われているのが、塚原卜伝(つかはら ぼくでん)です。

何と言っても生涯無敗なのですから。

この記事では、塚原卜伝がどのくらいの強さだったのか、その生涯を見ながらお話ししていきましょう。

塚原卜伝のプロフィール

  • 生誕 1489年
  • 生誕地 常陸国鹿島(現・茨城県鹿嶋市宮中)
  • 死没 1571年2月11日(享年83歳)
  • 幼名 朝孝(ともたか)

塚原卜伝は何をした人?

塚原卜伝は、鹿島神宮の神官の一人である卜部吉川家(うらべよしかわけ)の覚賢(あきかた)の次男として生まれました。 

時期ははっきりしていませんが、卜伝は父の剣友である塚原新右衛門安幹(つかはら しんうえもんやすもと)の養子となります。

同時に諱(いみな)を高幹(たかもと)とし、新右衛門高幹としました。

まさむね
まさむね
卜伝というのは実家の卜部家からとった号で名前ではありませんが、卜伝の方が世間に知られていますのでここでは卜伝と呼ぶことにします。

卜伝は小さい頃から実の父から鹿島古流を習い、養父からは天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)を学びました。

その甲斐あってか十代の後半ですでに剣豪として知られるようになっていました。

17歳頃、卜伝は武者修行の旅に出ます。

清水寺で初めての真剣勝負に勝利し、旅先で多くの対決を経験します。

その結果は、真剣勝負19回、戦場37回、木刀での試合数百回とものすごい数ですが、矢傷を除いて卜伝はそのどの試合にも手傷を追うことがありませんでした。

まさむね
まさむね
倒した人数は200人を軽く超えていたそうですから本当に剣豪だったと言えるでしょう。

10年後、旅から鹿島に戻った卜伝は、鹿島神宮に千日籠ります。

多くの戦いで人の命を奪ったことが果たして正しかったのか、卜伝は迷いを抱えていたのです。

千日かけて鹿島の神と対峙し、心を鎮めることにより卜伝に神託が下ったのでした。

鹿島の神より「一之太刀(ひとつのたち)」を受けます。

それは無駄に人を殺める剣ではなく、人を活かす剣「活人剣」でした。

卜伝はこれを「鹿島新当流」とし、また旅に出るのでした。

また10年かけて西日本から九州を旅して、剣を磨いていた卜伝のもとに実の父親が亡くなったという知らせが届き、鹿島に戻ることになりました。

卜伝も45歳になっていました。

晩婚になりましたが妙という嫁も摂りました。

しかしその嫁も早くに亡くなってしまうのでした。

その後独身を貫いた卜伝は三人の養子に家を任せ、三度目の旅に出たのです。

この旅は、自分の剣術を人に伝えて行くものでした。

卜伝は多くの人に剣術を教えました。

室町幕府13代将軍の足利義輝や伊勢を治めていた北畠具教(きたばたけ とものり)、また武田信玄の軍師として名高い山本勘助にも指南したそうです。

弟子として唯一相伝が確認されているので雲林院松軒(うじい しょうけん)です。

そんな卜伝も晩年は郷里に戻り1571年2月11日に亡くなりました。

剣術とともに生きた83年間でした。

塚原卜伝のエピソード・逸話

無手勝流

塚原卜伝の逸話の中で有名なのはこの「無手勝流(むてかつりゅう)」のお話でしょう。

卜伝は琵琶湖の船で乗り合わせた若い剣士と知り合います。

彼は相手が卜伝と知ると決闘を挑んで来ました。

卜伝はのらりくらりと相手をかわしていたのですが、その剣士は戦う気満々で血気にはやっています。

仕方なく応じた卜伝は、この船の中では他の人に迷惑になると二人だけで小舟に乗り移ります。

近くの小島まで行き舟を寄せると若者は急いで舟を飛び降りて島へ行こうとしました。

卜伝はそのまま小舟を漕いで島から離れていきました。

若者は大声で卜伝を罵倒しましたが、卜伝は「戦わずして勝つ、これが無手勝流だ」と言って去っていきました。

宮本武蔵との戦い?

宮本武蔵が若い頃のお話です。

卜伝が食事をしている最中に勝負を挑んで斬りかかりました。

卜伝はとっさに囲炉裏の鍋の蓋で武蔵の剣を受け止めました。

血気に逸る若者がいかにもやりそうなことですが、武蔵が生まれたのは1584年頃で、卜伝は10年以上前に亡くなっているのでこれは全くの作り話です。

まさむね
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もう少し武蔵が早く生まれていれば、あり得ないことではないですが。

卜伝の養子

卜伝には3人の養子がいました。

ある日卜伝は3人の中から家督を継ぐのにふさわしいのは誰かを見極めようとしました。

鴨居の上に木枕を置き、ふすまを開けるとそれが落ちてくるという仕掛けをしたのです。

三男は落ちて来た木枕を真二つに切って部屋に入りました。

次男は鞘に手をかけたものの、落ちて来たのが木枕だと確認するとそのまま部屋へ入りました。

長男は先に仕掛けに気づき、木枕をとってから部屋に入って来ました。

この様子を見た卜伝は長男に家督を譲ることに決めたと言います。

4行でわかる塚原卜伝のまとめ

まとめ
  • 生涯を剣術に捧げた
  • 「一之太刀」と「鹿島新当流」
  • 多くの弟子を持った
  • 「殺人剣」より「活人剣」へ

塚原卜伝はその生涯を剣術修行の旅に費やした人です。

そして剣術の神様に愛された数少ない人物だったことが良くわかります。

塚原卜伝の活人剣は、彼が教えた多数の弟子たちに引き継がれていったのでした。

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