戦国時代

浅井長政ってどんな人?わかりやすく簡単にまとめてみました

浅井長政

浅井長政と言えば、絶世の美女と言われた信長の妹・お市の方を妻にしましたが、信長に滅ぼされてしまったということが有名です。

また、武術に優れ、義理人情に厚い武将というイメージが強いですね。

イケメンだったとかいう噂もありますが、実際はどんな人だったのでしょうか。

わかりやすく簡単にまとめてみました。

浅井長政のプロフィール

■1545年(天文14年)
北近江を治めていた浅井久政の長男として(滋賀県近江)にて生まれる。

■1559年(永禄2年)
浅井家重臣らによって父・久正が隠居させられ家督を継ぐ。

■1560年(永禄3年)
南近江を治めていた六角氏を野良田の戦いにて破り、長政と名乗る。

■1567年(永禄10年)
織田信長と同盟、信長の妹・お市の方と結婚。

■1570年(元亀元年)
4月信長が同盟を結んだ時の約束を破って朝倉氏を攻めたため、朝倉に味方し信長を攻撃、信長撤退(金ヶ崎の退き口)。
         
■1570年(元亀元年)
6月姉川の戦いで敗れる(織田・徳川連合軍対浅井・朝倉連合軍)。

■1573年(天正元年)
本拠地小谷城を攻撃され、父とともに自害(享年29歳)。 

浅井長政は何をした人?

16歳にして軍を率いて頭角を現す

長政は15歳で元服した時、父・久政が六角氏に破れ、六角氏の配下にあったため、六角義賢の字を取って賢政と名乗らされていました。

さらに、六角氏の家臣の娘と結婚させられていました。

そんな中、父・久政に不満を持つ家臣たちとともに挙兵、野良田の戦いで六角氏に勝利し、六角氏から独立、北近江を再び取り戻すことができました。

この時、長政の軍は1万1千、六角軍は2万5千と言われ、圧倒的兵力さがあったにも関わらず勝利。

しかも初陣での勝利は、北近江に強い武将が現れたと、長政が世に知られることになったのです。

まさむね
まさむね
ちなみに、この年に信長は桶狭間の戦いで勝利しており、野良田の戦いは近江の桶狭間とも呼ばれています。

織田信長と同盟そして同盟破綻

長政の治めていた近江は京都に近く、その土地が欲しかった信長は、長政に同盟を申し込みます。

長政は、信長と、父親の代から何かとお世話になっていた朝倉氏が仲が悪かったため、同盟に乗り気ではなかったようですが、朝倉氏を攻めないという約束を交わし、同盟を結びました。

しかし、信長はその約束を破り朝倉氏を攻めたのです。

長政は朝倉氏を援護する決断をし信長と戦うことになり、事実上の同盟破綻となりました。

一時は優勢になったこともありましたが(金ヶ崎の退き口)、結局、姉川の戦いにて敗戦となってしまいました。

小谷城の戦いにて自害、若くしてこの世を去る

姉川の戦いで敗れてしまいましたが、当時、信長に対抗していた毛利・武田・朝倉・本願寺・延暦寺といった仏教勢力とともに信長包囲網を敷き戦います。

しかし、比叡山焼き討ち事件が起こり、一乗谷の戦いで朝倉家が滅び、武田信玄が病死してしまうなど、信長包囲網は崩れてしまい、ついには小谷城を包囲され、自害してしまいました。

29歳の若さでした。

浅井長政のエピソード・逸話

義理堅くまじめな武将

朝倉時氏に手を出さないという約束で織田信長と同盟を結んだ後、信長が足利義昭を奉じて上洛する際、長政の家臣の一人が信長に夜襲をかけて攻め込むよう勧めたそうですが、長政はだまし討ちをすることは武士道に反すると拒否し、そのまま義昭の警護にあたり信長に協力したそうです。

その後、信長が約束を破り同盟は破綻してしまいましたが、その際も昔からの恩義を重んじて朝倉氏を味方しています。

また、長政が小谷城落城の際に書いた家臣への手紙が残されています。

そこには、今まで仕えてきてくれた感謝と新たな主君への推薦状が書かれています。

まさむね
まさむね
長政が義理堅くまじめな武将であったことがわかりますね。

心優しく妻を愛した武将

初陣で勝利をおさめ決断力、統率力に優れていた強い武将でしたが、優しい人柄だったようです。

近江の人々には積極的に自ら声をかけ、決して軍事力で領民を支配することはなかったと言われています。

また、家臣が死んだ時には、その娘に対して追悼の書状を送っています。

六角氏を倒し当主となった時には、六角氏の家臣の娘と結婚していましたが、指一本触れずに六角氏のもとへ送り返したと言います。

妻のお市の方は信長の妹ですが、夫婦はとても仲がよかったそうです。

長政は自分が死ぬ前に、信長に妻と娘を引き渡しています。

まさむね
まさむね
妻のお市の方は、帰ることに抵抗したそうですが、長政は妻と娘の将来と幸せを願ったのです。

長政の娘は浅井三姉妹(茶々、初、江)として有名ですが、後に、茶々は豊臣秀吉の正室に、初は京極高次の正室に、江は徳川秀忠の正室で3代将軍家光の母となっています。

5行でわかる浅井長政のまとめ

まとめ
  • 16歳で初陣、武将として頭角を現す
  • 織田信長と同盟を組むが破綻してしまう
  • 若くしてこの世を去ってしまう
  • 義理堅くまじめな武将だった
  • 心優しく妻を愛した武将だった

イメージ通り義理堅くまじめで優しい人物でした。

もうちょっとずるがしこさがあったら、もっと長生きしてさらに活躍していたかもしれないと思うと残念な気がします。

イケメンだったという噂は、妻が絶世の美女と言われているため、それにつりあうためにイケメンだったとされているようで詳細は謎です。

この記事を読んで浅井長政について興味をもっていただけたら嬉しいです。

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