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鎌倉時代

兼好法師ってどんな人?徒然草の和歌から性格を紐解く

兼好法師

兼好法師といえば、「徒然草」ですね。

日本文学史に輝く永遠の名作と言っていいでしょう。

この世に日本語が存在する限り、読まれ続けていくに違いありません。

この記事では、その作者の兼好法師(吉田兼好)について一体どんな人だったのか、わかりやすく説明していきます。

兼好法師のプロフィール

  • 生年 1283年?
  • 死没 1352年?
  • 本名 卜部兼好

兼好法師の名前は広く知られていますが、どんな生涯を送ったか、実は不明な点が多いのです。

父・卜部兼顕は神職であり、大僧正慈遍が兄といわれていますが、確証はないようです。

卜部氏は代々神職の家柄といいますから、なかなかの名門です。

まさむね
まさむね
兼好は家司として堀川家に仕え、堀川家の基子が後二条天皇の母親だったいきさつから、六位蔵人(ろくいのくろうど)に任命されます。

しかし、1308年、後二条天皇の死に伴い、兼好も宮仕えを辞めてしまいます。

1313年前後に出家したといいますから、およそ30歳位で隠棲生活に入ります。

まさむね
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現代の我々から見れば、随分と早い引退という感じがします。

また、兼好の収入源についても気になります。

山城国山科の小野庄に水田を持っていたようですが、その土地からあがる収入で生計を立てていたようです。

また、特筆すべきは、二条為世門下で四天王の一人に数えられるほど和歌に優れていた点です。

まさむね
まさむね
和歌、随筆において当時の第一人者であったといっていいでしょう。

没年もはっきりとはしません。

少なくとも1352年8月までの生存は確認できるようです。

彼の人生については不明な点が多いのですが、随筆「徒然草」で不朽の名を後世に伝えています。

兼好法師は何をした人?

歌人として著名

兼好法師は歌人として有名でした。

二条派の和歌四天王の一人と呼ばれています。

同じく四天王に数えられる頓阿との歌の贈答が有名です。

これは、「沓冠」(くつかぶり)と呼ばれる形式のもので、句の最初の文字と、句の最後の文字に注目してください。

本当のメッセージがそこに隠されているからです。

まずは、兼好法師が頓阿に贈った歌を見ましょう。

よもすずし         
ねざめのかりほ       
た枕も           
ま袖も秋に         
へだてなきかぜ       

句の最初の文字を上から下に読んでみましょう。

「よ」「ね」「た」「ま」「へ」ですね。

これは「よねたまへ」つまり「米給へ」、お米をくれ、と言っているわけです。

句の最後のほうはどうでしょう。

今度は下から上へ読みます。

「ぜ」「に」「も」「ほ」「し」つまり「銭も欲し」、金の無心です。

頓阿の返歌は次の通りです。

よるもうし
ねたくわがせこ
はてはこず
なほざりにだに
しばしといませ

先ほどと同じルールで読んでみましょう。

最初の文字は上から下です。

「よ」「ね」「は」「な」「し」つまり「米はなし」、米はありません。

最後の文字は下から上です。

「せ」「に」「ず」「こ」「し」つまり「銭少し」です。

上記のやり取りは、「続草案集」という本に収められています。

まさむね
まさむね
和歌の達人ともなると、金の無心も風流なものです。

「徒然草」の著者

言わずと知れた日本文学の古典中の古典、それが「徒然草」です。

清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と並んで、日本三大随筆と呼ばれたりもします。

「徒然なるままに、日くらし、硯にむかひて、・・」という冒頭は多くの人が記憶しているところだと思います。

内容は、短い随筆を集めたもので、全部で243段あります。

第127段のように一行で終わるものもあれば、第137段のようにそこそこ長いものまで、特に決まった形式というものを持たず、まさに思いつくまま書いたような随筆が収められています。

日記のようでもありますが、人に読まれることを想定して書いているように感じられますので、日記とは趣が異なります。

まさむね
まさむね
現代で言えば、文章の長さといい、内容といい、ちょうどtwitterで意見発信しているような感じでしょうか。

この「徒然草」、書かれてからしばらくは誰も注目する人もいなかったようですが、室町中期の正徹というお坊さんが書写して紹介しはじめてから、人々に愛読されるようになったようです。

実際、現在残っている最古の写本は正徹が書写したもので、1429年のものと言いますから、兼好法師が生きた時代から、だいぶ隔たりがあります。

「徒然草」の主調低音は、「無常観」というキーワードで把握できると思います。

「無常観」といっても、「徒然草」には辛気臭い説教というものはまったくありません。

仏教的世界観に立脚しているのは確かですが、辟易するような説教とは無縁です。

あくまで自然に、文章も押しつけがましいところも皆無です。

まさむね
まさむね
ぜひ一度、本書を繙いてみることをおススメします。

最初はよくわからなくても、読むほどに味わいが出てくる名文なのです。

高師直のためにラブレターを代筆する

足利尊氏の側近であり、当時絶大な権力をふるったのが高師直です。

この師直のために、兼好法師が恋文を代筆したというエピソードがあります。

出雲守護であった塩冶高貞の妻に思いを寄せる師直のために恋文をしたためたというのです。

この話が事実かどうかはわかりません。

「太平記」にある話で、このエピソードから兼好法師が能筆であったとみなされていたことが想像されます。

「徒然草」の作者のラブレターというのも読んでみたいものですが、兼好法師自身は、代筆を嫌っていました。

「徒然草」第三十五段に、

手のわろき人の、はばからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし

とはっきり書いています。

権力者に代筆させられたとすれば、さぞ不愉快だったでしょう。

兼好法師のエピソード・逸話

兼好法師は文人としてその名声を現代にまで伝えています。

「文は人なり」といいます。

「徒然草」の中にこそ、兼好法師の本当の姿があるのではないでしょうか。

彼のキャラクターを彷彿とさせる文章を少し紹介していきましょう。

第59段 無常の来たることは、水火の攻むるよりも速やかに

兼好の無常観の代表として、この段を取り上げましょう。

この段の冒頭は次のように始まります。

大事を思ひたたん人は、去りがたく、心にかからんことの本意を遂げずして、さながら捨つべきなり」

ここでの大事とは出家のことです。

仏道に入って悟りを目指すのです。

そのためには、ぐずぐずしてないで、用事など放っておいてすぐさま実行しろ。

兼好はそう主張するわけです。

まさむね
まさむね
ここでの実行とは出家することですね。

現代日本で悟りを目指すなどとぬかして、重要な仕事や学問を途中で投げ捨てて修行すると言い出したりしたら大ごとですが、当時は許容される時代だったのでしょうか。

許容される時代だったとひとまず考えなければ、この段の言葉はすべて戯言になってしまいます。

この段をよく考えてみることで、兼好の生きた時代の雰囲気が想像できるというものです。

兼好は南北朝の混乱期に生きた人です。

出家するなどと真面目に主張して受け入れられるほど、時代は殺伐としていたのです。

兼好のイメージする「無常」と我々のイメージする「無常」ではまったく意味合いが違うのではないでしょうか。

そうでなければ、出家にかける情熱というものを理解するのが難しいでしょう。

第75段 まぎるる方なく、ただひとりあるのみこそよけれ

兼好はぼっちが好きです。

というと誤解を招きそうですが、この段の主張は、まさに関わりを持たず、ただひとりであれ、ということです。

一人歩む、というのは仏教では好んで用いられるモチーフですが、兼好がここで言いたいのは、人と交わるときに主体性を失っては意味がない、ということです。

人に戯れ、物に争い、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。

分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑いの上に酔えり。酔の中に夢をなす

「惑いの上に酔えり」とは面白い言い方です。

確かに私たちは人や物に関わりをもてば、いつの間にか自分の主体性を失い、人や物に振り回されるようになりがちです。

まさに「惑いの上に酔えり」です。

といって、人と関わらず孤独に生きることは不可能です。

当時ではなおさらでしょう。

まさむね
まさむね
だからこそ、兼好にとって孤独こそ貴重なものだったのでしょうか。

第85段 偽りても賢を学ばんを賢といふべし

徒然草のなかでは珍しく積極性のある主張です。

この段の冒頭は、

人の心すなほならねば、偽りなきしもあらず

確かにその通りでしょう。

私たちは始終ウソばかりついているといってもいいでしょう。

他人の顔色を窺い、言いたいことも言わず、建前で生活する。

社会生活とはそういうものです。

ですが、兼好は「偽り」が悪いと言いたいのではありません。

「偽り」でもいいから、賢者になろうと努力しろと言いたいのです。

至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす、と謗る

こういう人は確かにいます。

私たちはそういう非難に挫けてはならない。

「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」

そうであるならば、「舜を学ぶは舜の徒なり」

舜とは、古代中国の伝説上の名君です。

私たちは「偽りても」賢を学ぶべきなのです。

むしろ「偽り」ニセモノだからこそ、賢者になろうと志を立てるべきなのです。

なぜなら、「偽りても賢を学ばんを賢といふべし」だからです。

まさむね
まさむね
何かを始めようという人や、学問に迷いを感じたひとは、ぜひこの段を読んでほしいと思います。

そういう人々への力強いエールになると信じるからです。

第175段 百薬の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起れ

酒の飲みすぎで身体をこわす人は、時代を問わず存在します。

兼好の時代にも、そして私たちのすぐそばにも。

酒を勧めて、強い飲ませるを興とする事、如何なる故とも心得ず

室町時代から無理に飲ませようとする人がいたというのは面白いことです。

日本人は昔から変わっていないようですね。

これは長い段ですが、内容は目新しいものではありません。

なぜなら、酒の醜態について書いているからです。

酒の醜態なら、兼好に教えてもらうまでもありません。

私たち自身、そういう経験もし、また他人の醜態に眉をひそめたこともあるはずです。

兼好も酒を飲む人に対して随分辛辣なことも書いています。

この点は兼好も現代人も同じです。

くみ取るべき教訓もやはり一緒です。

酒はほどほどにしましょうということですから。

第190段 妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ

女のせいでひどい目にあったことがあるのか、と思わせるほど兼好の女性に対する姿勢は厳しいです。

この段は、その代表格です。

ほとんど女性に対する罵詈雑言です。

よっぽど恨みでもあるのでしょうか。

「家のうちをおこなひをさめたる女、いと口惜し」とか、
「子など出来て、かしづき愛したる、心憂し」とか、
「いかなる女なりとも、明け暮れ添い見んには、いと心づきなく、憎かりなん」など、言いたい放題です。

しかも、「男亡くなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし」など、なぜそういう意見になるのかさっぱりわかりません。

まさむね
まさむね
女性へのこういう悪罵は、兼好の人となりをよく表していて非常に興味深いですね。

人間誰しも変なこだわりがあるといういい例だと思います。

3行でわかる兼好法師のまとめ

まとめ
  • 歌人として有名だった
  • 「徒然草」の著者として、日本文学史に名を刻む
  • 時の権力者のためにラブレターの代筆もした

兼好法師は「徒然草」の作者として、これからもその名前を永遠に伝えていきます。

この記事で兼好に興味を持った方は、ぜひ一度、「徒然草」を手に取ってみてはいかがでしょうか。

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