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戦国時代

帰蝶/濃姫ってどんな人?わかりやすく簡単にまとめてみました

帰蝶/濃姫

帰蝶(きちょう)/濃姫(のうひめ)と言う女性は、戦国時代の覇者として知られるあの織田信長(おだのぶなが)の正室でした。

父親は美濃のマムシと呼ばれた斎藤道三(さいとうどうさん)です。

超有名な夫と父を持つ帰蝶/濃姫とはどのような女性だったのでしょうか。

またどのような生涯を送ったのか気になりますね。

この記事ではその帰蝶/濃姫についてお話ししましょう。

帰蝶/濃姫のプロフィール

  • 生誕 1535年頃(はっきりしていません)
  • 生誕地 美濃国
  • 死没 不明(諸説あり)

帰蝶/濃姫は何をした人?

 
帰蝶/濃姫は美濃の武将・斎藤道三とその正室・小見の方(おみのかた)との間に生まれました。

母の小見の方は、明智光秀(あけちみつひで)の叔母にあたる人でしたから、帰蝶/濃姫と光秀はいとこ同士の間柄だったのです。

織田信長に嫁ぐ

1549年3月帰蝶/濃姫は織田信長の正室となります。

斎藤道三織田信秀(信長の父)は大垣城をめぐり数年争っていました。

しかし信長の守役の平手政秀(ひらてまさひで)が間に入り両家の間で和睦が成立しました。

その際道三の娘を信長の元に輿入れさせるという約束がなされたのでした。

まさむね
まさむね
まさに戦国時代、いつもの政略結婚です。

帰蝶/濃姫は人質として織田家に送られたのです。

ですがマムシの道三のことですから、娘をスパイとして織田家に入れたとの見方もできます。

道三は帰蝶/濃姫がいよいよ信長に嫁ぐという時、短刀を渡し、「信長がなにか企んでいたらこれで殺せ」と命令します。

帰蝶/濃姫は承知しながらも、「もしかしたら父上を刺すかもしれません」と言ったのです。

まさむね
まさむね
さすがにマムシの娘です。

かなり気丈な女性だったのがわかります。

織田家に嫁いでからは詳細不明

織田家に嫁いでからの帰蝶/濃姫についての記録はほとんどなく、ただ信長との間に子供がなかったらしいと言われていますが、それも定かではないようです。

ですから彼女が織田家でどのように生きたのか、いつ亡くなったのか全くわかっていません。

一説には1582年に起こった本能寺の変で信長とともに戦死したといわれていますが、そのような資料はなく事実ではないように思われています。

ただ本能寺から帰蝶/濃姫の遺髪を抱えた信長の家臣が岐阜市の不動町でそれを埋葬したという「濃姫遺髪塚」なる場所があります。

そうなると夫信長とともに本能寺で果てたと言えるかもしれません。

この時亡くなっていると考えると帰蝶/濃姫は信長の一つ年下ですから享年48才だったということになります。

また他説では、信長の次男・信雄(のぶかつ)が1587年に家族や家臣の構成をまとめた「織田信雄分限帳」にあつち殿(安土殿)という女性が記載されており、これが帰蝶/濃姫ではないかと言われています。

まさむね
まさむね
安土殿が帰蝶/濃姫だったなら彼女は本能寺の変以降も生存していたことになりますね。

もう一つ生存説に、帰蝶/濃姫を鷺山殿(さぎやまどの)だという考えがあります。

まさむね
まさむね
鷺山殿の法名が「養華院殿要津妙玄大姉 信長公御台」と記されているのです。これは実に興味深いですね。

これが事実なら帰蝶/濃姫は1612年まで生存していたことになり享年78才の天寿を全うしていたのですから。

帰蝶/濃姫のエピソード・逸話

帰蝶/濃姫の名前

帰蝶を「濃姫」として登場させたのは、「絵本太平記」や「武将感状記」です。

しかし実際には美濃の高貴な女性という意味を持つだけで名前とは別なものだったようです。

まさむね
まさむね
いまでもドラマなどでは「帰蝶」ではなく「濃姫」として登場することが多いですが、名前ではなかったのですね。

また斎藤道三が隠居して鷺山城に退いた時、帰蝶はこの城から信長の元に嫁いだので「鷺山殿」と呼ばれていたといいます。

信長の妻としての呼び名は「於濃の方」とも言われていますが、「美濃国諸旧記」にある「鷺山殿」の方が由来として明確です。

実はバツイチだった

帰蝶/濃姫は信長の元に輿入れする前に一度結婚をしています。

斎藤道三は、織田信秀に娘を嫁がせるといいながら、朝倉孝景とも和睦の際に、娘を土岐頼純(ときよりずみ)の嫁として嫁がせたのです。

帰蝶/濃姫へわずか12才で美濃の守護職である土岐頼純の正室となったのでした。

しかし夫の頼純は1547年24才の若さで亡くなっています。

大桑城が落城した際に討ち死にしたとも、斎藤道三に殺されたとも言われています。

そのため帰蝶/濃姫は実家に戻り、改めて信長の正室となったのでした。

しっかり者の正室

信長との間に子供がいなかったと言われている帰蝶/濃姫ですが、信長にはたくさんの側室がいたので世継ぎには不自由していませんでした。

しかし側室の揉め事などは一切記録になく、奥の方はきっちりとしていたようです。

それは正室である帰蝶/濃姫がしっかり奥を取り仕切っていたからではないでしょうか。

まさむね
まさむね
そうならば信長の妻として、記録に出てこない彼女をなんとなく想像できますね。

4行でわかる帰蝶/濃姫のまとめ

まとめ
  • 帰蝶/濃姫は斎藤道三の娘で明智光秀のいとこ
  • 彼女の夫は、織田信長
  • 信長の妻となってから記録に乏しい
  • 信長の前に夫がいた

信長に対して彼女についてのエピソードがほとんど記録にないことはとても残念ですが、返ってどのような女性だったのか謎に満ちていて私たちの想像をかきたてますね。

マムシと呼ばれた父を持ち、第六天魔王と呼ばれた夫を持った帰蝶/濃姫の生き様はきっと波乱に満ちていたことでしょう。

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