飛鳥時代

中大兄皇子(天智天皇)ってどんな人?わかりやすく簡単にまとめました

中大兄皇子(天智天皇)

あなたは中大兄皇子、もしくは天智天皇と聞いてまず何を思い浮かべますか?

「あれ、名前は思い出せるけど、そういえば何した人なんだっけ……」となる方も多いのではないでしょうか。

その厳かな名前の響きから記憶には残りやすいけど、具体的に何をしたのかって言われたら意外と答えられないですよね。

今回は、そんな中大兄皇子(天智天皇)の経歴や偉業についてまとめてみました!

中大兄皇子(天智天皇)のプロフィール

天智天皇(てんぢてんのう/てんじてんのう、626年-672年1月7日)は日本の第38代天皇で、一般的には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)として主に知られています。

「大兄」とは、同じ母親を持つ兄弟の中の長男に与えられた皇位を継承する資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味しています。

中大兄皇子(天智天皇)は何した人?

第38代の天皇にまでなった中大兄皇子(天智天皇)は、具体的にどんなことを行ったのでしょうか。

有名なものとしては、以下のものがありますね。

  • 乙巳の変
  • 大化の改新
  • 遣唐使の派遣
  • 庚午年籍の作成

では、それぞれ詳しく見ていきましょう。

乙巳の変(いっしのへん)

645年、当時聖徳太子の死により横暴を働くようになり始めた蘇我氏に対し、中臣鎌足と手を組んでクーデターを起こした事件です。

これは、次に説明する大化の改新の第一段階としても知られています。

中臣鎌足についてはこちらに詳しくまとめています。

中臣鎌足
中臣鎌足ってどんな人?わかりやすく簡単にまとめてみました中臣鎌足って、名前の響きだけ覚えている人も多いのではないでしょうか。 なかとみのかまたり……覚えにくそうで逆に覚えやすい名前ですよ...

当時の蘇我氏は、かの三国志で暴君として知られる董卓と並ぶほどの暴政を働いていました。

それに終止符を打つため、中臣鎌足らを中心に暗殺計画が密に進められたのです。

順調に進んでいた計画……だったのですが、最後の最後で暗殺を実行するはずだった協力者の2人が足を竦めてしまいます。

そこで、咄嗟に「これはいけない!」と判断した中大兄皇子は、自ら剣を振り蘇我入鹿にとどめを刺しました。

まさむね
まさむね
か、かっこいい……!

彼がとても優れた勇敢さと冷静さを持っていたことが分かりますね。

大化の改新

645年、大化の改新――というふうに年号はなんとなく覚えてはいるけど、中身はよく知らないという方もかなり多いのではないでしょうか。

厳密に言えば、大化の改新が645年に「行われた」、とするのは間違いで、645年から「始まった」といった方が正確でしょう。

乙巳の変を皮切りに、蘇我氏によって荒らされた政治を修正するための大規模な国政改革が行われました。

これらの一連の動きを、まとめて大化の改新と呼びます。

  • 日本で初めての元号の制定
  • 国博士・内臣・左大臣・右大臣という国に携わる重要な役職の設置
  • 新たな施政方針を示す改新の詔の発布

など様々な改革が施されました。

これらの先導は主に中臣鎌足によって行われ、中大兄皇子は協力という立場だったようです。

遣唐使の派遣

中国の先進的な技術や文化、仏教の経典を持ち帰ることを目的に唐に派遣されたのが遣唐使です。

かつて遣隋使を派遣したときと同じように、「日本と唐は対等である」という姿勢で日本側は挑んでいますが、唐側ではそのように扱ったという記録は残されていません。

むしろ、あちらも日本を下に見ていたとされています。

まさむね
まさむね
お互いが火花バチバチの、けん制し合いながらの交流だったのですね。

庚午年籍(こうごねんじゃく)の作成

庚午年籍とは、日本で初めて作成された全国的な戸籍のことです。

ただしこの庚午年籍、現存はしておらず、本当に全国のすべての階層の人々を対象に作成されたのかはまだ疑念が残っています。

ただ、後年の記録では庚午年籍をもとにして作られたという記述が残されており、その存在自体は確かなものとして扱われているようです。

中大兄皇子(天智天皇)のエピソード・逸話

ここで、中大兄皇子を語るうえで欠かせない有名なエピソードを2つ紹介いたしましょう。

長く天皇に即位しなかった

彼は皇太子という立場で長く活動し、なかなか天皇に即位しようとしませんでした。

その理由には諸説あり、

  • 天武天皇を推す人々へ気を遣った
  • 女性関係の荒さに反発を覚えた人が多かった
  • 元々有力な後継者ではなかったので、皇太子を長く務めて正当性をアピールしていた

などなど沢山です。

まさむね
まさむね
現存する資料だけでは特定は困難であるため、今後の新たな発見に期待ですね。

個人的には女性関係説であってほしいなと思います(笑)

歌人として高く評価されていた

中大兄皇子は、政治の他にも歌人として高く評価されており、百人一首の冒頭の歌は有名です。

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ
(秋の田んぼのほとりにある仮小屋の、その屋根を葺いた苫の編み目が荒いので、私の衣の袖は露に濡れていくばかりである)

これは収穫期の農作業にいそしむ田園の風景を詠んだ歌ですが、天皇という立場であるにも関わらず農民の苦労も理解できているということから、多くの支持を得ています。

4行でわかる中大兄皇子(天智天皇)のまとめ

まとめ
  • 日本の第38代天皇。
  • 乙巳の変・大化の改新・遣唐使の派遣・庚午年籍の作成を行った。
  • なかなか天皇に即位しようとしなかった(理由は諸説あり)。
  • 政治だけでなく、歌人としても評価されており、百人一首にも載っている。

大化の改新という、日本史を語るうえで欠かすことのできないほど重大な出来事に携わった中心人物、それが中大兄皇子(天智天皇)です。

悪政を終わらせるために暗殺を自ら実行する勇敢さや国政の大幅な改革、農民の気持ちも理解できる庶民的な姿などからすると、当時も多くの民衆から支持をされていたのではないかと考えられますね。

長く即位しなかったことなどまだまだ謎の多い人物ではありますが、日本の歴史に大きな役割を果たしたのは間違いないでしょう!

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